『失われた創造力へ ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリの言葉』 多木陽介 編訳著
『失われた創造力へ ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリの言葉』
多木陽介 編訳著 / どく社 / 四六変形判上製 112P
「好奇心がないようなら、おやめなさい」
ーアキッレ・カスティリオーニ
「知識とは、生の現実に基づいているものなんだ」
ーエンツォ・マーリ
「聞いたことは忘れる、みたものは覚えている、やったことは理解できる」
ーブルーノ・ムナーリ
つくる・育む、すべての人へ。
アキッレ・カスティリオーニの思想を日本に紹介した
ローマ在住の批評家・多木陽介が、デザイン界の巨匠の言葉に、
これからの創造力を導く思想を探る。
完全新訳。
目次
PROGETTAZIONE―イタリアンデザインの思想と方法論の回帰
Bruno Munari ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ものからものが生まれる
・ファンタジア/発明/創造力/想像力
・子どもの心を自分のなかに/一生もちつづけるということは/知ろうとする好奇心/理解する愉しみ/人に伝えたくなる気持ちを/大事にすることを意味する。
・一切無駄がないこと
・スタイリングはデザインではない。
・規則と偶然
・その重力そのものがこのランプのフォルムを決定する。
・「種」の自覚をもつと、いつしか他者のために働き、隣人(それもわれわれ自身である)を助けてみんなで大小の問題を解決するようになる。
・生而不有/為而不恃/功成而弗居
・静かな革命
・聞いたことは忘れる、見たものは覚えている、やったことは理解できる 。
・明らかにそうだとわかっていないものについては、絶対に鵜呑みにしないこと
・美しさは正しさの結果である。
・贅沢さとは、愚かさの自己顕示である。
・デザイナーに何か夢があるとすると、それはあらゆる社会階層からできるだけ文化的な無知をなくすことです。
・プロジェッティスタの多くは、問題を解決するようなアイデアをすぐに見つけようとする。
・多くの物は作者の名前なしに売られている。
Achille Castiglioni・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・好奇心がないようなら、おやめなさい。
・私のデザインした作品がどこかのミュージアムに私の名前とともに飾られているというのは嬉しいが――
・偽りのニーズ、偽りの目標
・正当なデザイン/不当なデザイン
・形態的表現と内容の選択のあいだにある論理的な厳密さ
・筋が通っている
・最も目立たない(humble)物にもストーリーがあるという
・良いプロジェクトとは、自分がやったぞ、という徴を残そうとする野心ではなく、あなたたちがデザインした物を使うことになる、見ず知らずの誰かと、ほんの些細なことでもいいから、何かを取り交わそうという、その気持ちから生まれるのです。
・人の家のインテリアをつくるって ? そりゃあほとんど無理な 話ですよ。
・とんだ勘違いをしていなければ
・あと何が取れるかな ?
・インテグラルプロジェクト
・進化
・何を、どのように、どれだけ見たいか
・もしこのテーブルの上にある物すべてがテーブルなしでもこの高さにとどまり、ランプなしで光が出てきたら、こりゃあ、悪くないよ ……いや、なかなか悪くないぞ ……
・音楽が音と休止で成り立っているように、照明は光と影からできている。光だけでは音楽にならないよ。
・デザインとは、一つの専門分野であるというよりは、むしろ人文科学、テクノロジー、政治経済などについての批評能力を個人的に身につけることから来るある態度のことなのです。
・ファンタジアとはジャムのようなもので、固い一切れのパンに塗る必要があります。
Enzo Mari・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・デザインが本来もっていたユートピア志向を取り戻さねばならない。
・かたちのクオリティ
・ブーメラン。経験だけが頼りだったとはいえ、何世代もかけたこのオブジェの弾道精度の探求は、現代の科学的探求に匹敵するものである。
・プトレッラ( H鋼 )
・百姓というのは、終わりのない、素晴らしいプロジェッタツィオーネの仕事です。
・知識とは、生の現実に基づいているものなんだ。
・自分で考えてつくること、それが 、他人に自分の生き様を設計されてしまわないための最良の方法なのだ。
・すべてはもう存在している。
・職人たちは、みな手の技術には優れているが、脳の技術が足りない。
・消費者のためではなく、職人や工場の職工など、物づくりの担い手のためにデザインするべきである。
出典
忘れっぽい私たちへ―原田祐馬(UMA/design farm代表)
前書きなど
PROGETTAZIONE―イタリアンデザインの思想と方法論の回帰
イタリアにおけるデザインは、まだ design という英語が人口に膾炙していなかった初期の頃、特に当事者たちのあいだでプロジェッタツィオーネ(progettazione=プロジェクトを考えて実践することという意味)と呼ばれ、その当事者たちは、自らをプロジェッティスタ( progettista=プロジェッタツィオーネの実践者 )と呼んでいた。彼らの仕事は、倫理性と社会性に富み、企業の利益よりも社会性のある創造と市民全般への教育を使命とし、その後の消費主義社会のためのデザインとは全く相容れない性格をもっていた。だが、資本主義と消費主義社会の急激な発展のなかで、彼らのうちの数人が「巨匠」に祀まつり上げられ、彼らの作品がアイコン化する一方で、 この素晴らしいデザイン思想とその方法論そのものは、ほぼ完全に消費社会の床下に葬り去られることになった。
ところが、進歩を信じた近代西洋文明の破綻が誰の目にも明らかになった前世紀の終盤、1980年代の末くらいから、それまであまり見かけることのなかった新しい職能とともに、(大抵の場合本人たちはそうとは知らずに )プロジェッティスタたちにそっくりな非資本主義的な態度と価値観を身につけて活動する人びとが、建築やデザインだけではなく、教育、経済、政治、環境、国際支援、芸術、演劇、金融、食、農業、福祉、医療、まちづくり、その他、実に多くの分野において(まだまだマイノリティではあるが )登場してきている。現代社会の病み、傷んだ創造力を治癒・修復しに来たかのように、歴史が一度忘れたある創造力が蘇りはじめていると言えるだろう。
しかし、これらの新しい職能を実践する人びとの多くは、現代という歴史感覚のなかで直感的にこうしたほうが良かろうと判断しているものの、自分たちの創造力についてまだ十分な認識をもち合わせていない。一方、プロジェッティスタのなかでも特に優秀な人たちは、自らの創造力のあり方に極めて自覚的で、創造活動の原則や方法を理論的にも掴んでいたから、まだ人類が忘れ切っていないうちに、彼らの思想と方法論を改めて学び直すことは、現代を生きるわれわれにとって貴重な道標になるのではないだろうか。筆者がプロジェッタツィオーネを研究しはじめたきっかけにはそのような動機があった。
その研究を基に構想された展覧会「PROGETTAZIONE―イタリアから日本へ 明日を耕す控えめな創造力」展(於東京ミッドタウン・デザインハブ、2024年3月22日~5月6日)の準備過程で、最も純粋な形でプロジェッタツィオーネを探求しつづけた三人、ブルーノ・ムナーリ(1907-1998)、アキッレ・カスティリオーニ(1918-2002)、エンツォ・マーリ(1932-2020)の言葉を展示用に集める作業のなかから、ごく自然な形で生まれてきたのが本書である。
最終的に三人合わせて四十五本集められたフレーズや単語が、一本ずつ、各見開きの右ページ右端に綴られている。彼らの言葉のなかには、著作や映像から引用したものもあるし、文章化されたことはないが、彼らが頻繁に使っていたことの知られている概念や言いまわしも含まれており、すでに邦訳がある著作からの引用も含め、すべて原語から改めて訳した。そして、見開きの左ページには、これらの言葉を現代の視点から解釈した筆者の見解が記されている。