『幼年の庭』 呉貞姫
CUON韓国文学の名作006
『幼年の庭』
呉貞姫 著 / 清水知佐子 訳
クオン / 新書判並製 / 416P
日常にひそむ不安や欲望
家族の中で抱く孤立感
生きあぐね、もがく女たち
現代女性文学の原点となった
呉貞姫の作品集
朝鮮戦争を体験した著者の幼少期が反映された「幼年の庭」「中国人街」のほか、「三十代の内面の記録」という六編を収録。繊細で詩的な文章は、父の不在、家族関係のゆがみ、子どもや夫への愛情のゆらぎに波立つ心を描き出す。それは時代の中で懸命に生きる人の肖像でもある。
『幼年の庭』に描かれた韓国の女性たちの姿は、
同時代の日本の女性たちとも重なる部分があるだろう。
現代の韓国文学に日本の読者が共感するように、
幅広い層の心に響く小説集として
多くの人々に読まれることを期待している。
―-清水知佐子(本書「訳者解説」より)
【推薦のことば】
呉貞姫に心奪われることなく「文学する」ことは可能だろうか。韓国において、致命的なほど文学の虜になるというのは、呉貞姫の世界に魅了されることを意味する。「呉貞姫」という名前は、文学そのものだ。彼女の小説の緻密で秘密めいた恐ろしい美しさについて語ることは、もはやいかなる発見の感動も与えない。それは、韓国現代文学が有する、生きた神話に属するからだ。
──イ・グァンホ(文芸評論家)
「彼女の体の中に、深い水の時間たち」(『呉貞姫を深く読む』、文学と知性社、2007年、未邦訳)より
ワット アー ユー ドゥーイング? あなたは何をしていますか? アイム リーディング ア ブック……。久しぶりに広げた「幼年の庭」の冒頭を読んだ私は一瞬にして、今はもう再開発でなくなってしまった昔の家の屋根裏部屋に、一つひとつ、ときめきと不安と挫折の間を貫くその文章を読んでいた頃に戻り、まるで古びた未来を見下ろすかのような、誰もいない路地を見つめているような錯覚に囚われる。「夜のゲーム」も「火の河」も同じだっただろう。当時、偽悪的な人物と彼らのタブーに挑戦することは、苦痛でありながらもどれだけ痛快だったことか。
生というもののしぶとさと人生の不条理をむき出しにした場面の上に、自身を限界まで追い立てたであろう若かりし日の先生の姿が重なる。四方に対して恥ずかしくて申し訳なかった、眠れないあの夜の数々を今なら少し理解できる。ぴんと張り詰めた緊張の中を、いつも慎み深く歩いていたであろう先生の姿を思い浮かべながら、私も少し慎重にならなければならないのではないかと考える。三十年余りが過ぎたけれど、私は今も呉貞姫文学の庇護の下にいる。
──ハ・ソンナン(小説家)
『幼年の庭』(文学と知性社、2017年)帯文より
目次
幼年の庭
中国人街
冬のクイナ
夜のゲーム
夢見る鳥
空っぽの畑
別れの言葉
暗闇の家
著者あとがき
日本語版刊行に寄せて
訳者解説
前書きなど
日本語版刊行に寄せて
『幼年の庭』は一九八一年に刊行した二冊目の小説集です。私の青春の残酷な自画像ともいえる、二十代の頃に書いた作品を集めた最初の小説集『火の河』を出した後、三十代を生きる自分自身の内面の記録として残したのがこの『幼年の庭』です。私小説とは言えませんが、あの時も今も、私という存在は大地をしっかり踏みしめて立っているし、私の文学的想像力も現実に根づいたものだから、私の人生と文学は決して分離することはできません。だから、この小説集には、とにかく生きなければならないのだという厳然たる命題に直面した女性と母性、一人の人間としての実存的苦悩と葛藤が小さなため息としてちり
ばめられているだろうと思います。
この本に収録された作品をあらためて読むのは本当に久しぶりでしたが、急な坂道を上るように、毎日毎日息が切れるほど苦しかったあの頃が思い出され、遙か遠い時間の向こうに埋もれたドアを一つひとつ開けて入っていく時間旅行のようでもありました。そして、これらの作品を書いていた時期を通り過ぎた今、若い女性として経験せざるを得なかった混乱ややるせなさ、息苦しさは、まさに人生の峠を越える一つの過程だったことに気づきました。矢のように流れていく人生において、遠ざかり、かすんで、ついには忘却の彼方へと消えてしまう時空間と心の模様はそうやって整理することによって初めて連続性を帯び、存在しつづけるのだということ、そんな確信を持つことが作家としての使命であり力であると考えるようにもなりました。
この小説集の表題作でもある「幼年の庭」は、私が実際に朝鮮戦争の時に幼少時代を過ごした避難先での記憶をかき集めたものです。幼少期というのは誰にとっても、雑多ながらくたが詰まった古い屋根裏部屋みたいなもので、自分が見聞きし、経験したことに夢の中でのことが合わさって現実と非現実、空想と妄想の間のぼんやりとした空間やイメージが作り出されます。屋根裏部屋にたまった埃とクモの巣を払いのけ、目が回りそうになるのをぐっと堪えながら流れの速い川底をのぞいて珍しい石を探し出すような気持ちで書いた幼い頃の物語「幼年の庭」と、その続編ともいえる「中国人街」は個人的な成長記録で
あり、私が文学の道を進むうえでどうしても書かなければならなかった小説であり、避けて通ることのできない通過儀礼の一つだったと言えます。
『金色の鯉の夢』、『夜のゲーム』、『鳥』に続き、また日本の読者のみなさんにお目にかかれてとてもうれしく、心が躍る思いです。この本の出版に携わられた皆さまに深くお礼申し上げます。
二〇二三年七月 呉貞姫